大正14年頃に撮影された現、千葉県市原市東国吉の風景と人物です。
当時は、千葉縣市原郡市東村東國吉 と称されていました。
撮影者は地元在住だった天羽さん(故人)です。
これらの写真の人物の御子孫は、いまや全国各地で活躍それていることと思います。
御子孫の数も膨大な数となっている事でしょう。
ご先祖様が東国吉の出身でしたらこの写真のなかにあなたの曽祖父がいらっしゃるかもしれません。
是非、ご家族で話題にしていただきたいものです。
@ 東喜文庫と額に書いてあるが、誰のお宅かは不明。しかし皆、誇らしげというか威張った表情をしている。 |
A東国吉の風景を東国吉の南端方面から撮ったと思われる。中央右奥の丘の中腹に妙照寺。八幡神社 は、右手の山の高台にあり写真には写っていない。八幡神社の鳥居は写真中央右手に見える一本杉の右奥の方向になる。 |
B東国吉の鎮守の神様である八幡神社の参道整備を村人で行っている時の記念写真だろう。 後方の山の上に見える3本の大きな杉の巨樹が八幡神社の境内のある場所である。八幡神社の境内には、今でも杉の巨木が1本現存する。 伝え聴いた話によると、あと2本の杉の巨木は落雷で消失したとのことである。 |
C後ろに見えるのは妙照寺の梵鐘堂である。鐘らしきものが写っているが、大東亜戦争の時に供出され、以降、鐘の無い 状態が戦後60年たった今も続いている。さびしいですね。 右端に写っている子供が誰だかわからないが、この子を除いて、 ほぼすべての方はこの敷地の左奥に見える墓地に眠っているはずである。合掌 |
D八幡神社の参道整備の様子であろう。Bの写真と同じ時のものだろう。杉の丸太を枕木として階段の替わりにしているようである。現在は石段となっており、108段あるといわれている。皆、かなり厚手の服を着ているので12月頃ではないだろうか。 |
E八幡神社の鳥居前。現在の東国吉交差点である。秋の運動会でも行っていたのであろうか、それとも何かのお祝いの 記念行事だろうか。おそらく青年団による100メートル競争ではないだろうか。鳥居前から永吉方面に発走するところ。 |
F Eの続き。ゴール付近だと思う。トップランナーの余裕の表情から、ゴールの瞬間を撮ったのではなく、後で記念写真 としてポーズをつけたのかも。中央に見える屋根の大きな家は、現在も存在する西郡邸の長屋門である。2階建てになって おり、使用人が住んでいた。 |
G 集合写真である。八幡神社鳥居の脇の田んぼだろうか。何の記念かはわからない。 一番手前でしゃがんでいるのは中学生か小学生であろう。 |